テスト

レモンを仕込みました

2018/01/06

伊佐のこと

上レモンピールと下レモンジャムです。
レモンピール🍋はこれから進化します。いまは途中段階です。チョコレートに使う予定です。バレンタインにお目見え予定です。
レモンジャム🍋は、酸味があって美味しいです。夏に使う予定です。どちらも楽しみです。
ちなみにレモン🍋は、西宮で当社顧問が無農薬で作っています。庭で。

冷凍倉庫③

2017/12/28

伊佐のこと

冷凍倉庫に屋根つけています。寒いのにありがとうございます。今日は年内最終日、仕事納めです。みなさん、1年大変お世話になりました。よいお年をお迎えください。

冷凍倉庫④

2018/01/06

伊佐のこと

伊佐工房にきました。風にノボリが気持ちよさそうにたなびいています。
冷凍庫は無事電源工事も終わり、稼働しています。マイナス20℃の世界です。

冷凍倉庫②

2017/12/27

伊佐のこと

寒い中、工事のみなさん、ありがとうございます。まだ工事はつづいています。もう少しです。工事のみなさん、よろしくお願いします。

たのかんさあ

2018/05/01

自然, 歴史

鹿児島の田んぼのあぜみちを歩いていると、「田の神さあ」とよばれる石像をよく見かけます。田の神は、その名示す通り田んぼを守り、米作りの豊作をもたらす農業神。稲作のある日本全国の各地で信仰され伝わっていますが、それが石像として田んぼのあぜなどにあるのは、鹿児島を中心とした旧薩摩藩領(鹿児島県本土よび宮崎県南部)に限られるそうです。約2000体の田の神が確認されていると言われています。いつも自分たちを見守ってくれる身近な神様です。伊佐の田の神さあ、顔もいろいろ、帽子をかぶっていたり、いかったり と。これは旧菱刈町にある田の神ですが、旧大口市にもまだまだ面白いのがいっぱいあります。

冷凍倉庫①

2017/12/26

伊佐のこと

冷凍倉庫の工事が始まりました。寒い中、工事の方ありがとうございます。怪我のないようよろしくお願いします。
それにしても伊佐は寒いです。今朝も氷点下の世界、流石鹿児島の北海道。

「新納忠元」

2018/04/01

歴史

3月に発売されたフィナンシェ「さぞな春」の由来にも関係する「新納忠元」は、薩摩島津家の重臣で和歌の名手でした。天文七年(1538)、島津貴久に謁見し、以後、義久・義弘・家久に仕え、数多くの合戦に功をたてました。天正二年(1574)、肝付・伊地知氏を帰順させ、同八年以後、肥後攻略の将として活躍しましたが、同十年には肥前の戦で子の忠堯を失っています。
 「豊臣秀吉」の九州進攻の際、当主「義久」の和議の方針に反対して抗戦を主張しましたが、結局「義久」の説得により降伏しました。「鬼武蔵」と呼ばれてその武勇を怖れられる一方、学芸にも長じ、和歌・連歌を好まれました。陣中、火縄の明りで古今集を読んだとの逸話が伝わっています。「細川幽斎」に和歌の指導を頼んで受けられました。
 さて、さぞな春。「さぞな春つれなき老いと思ふらむ今年も花ののちに残れば」という歌は、妻が病没し、その翌年三月に詠んだ歌で、「つれなき」は、亡き妻に対して「つれない」ことを意味すると共に、「連れなき」を掛けて、「妻に先立たれた」の意を響かせています。「花ののちに残れば」は、妻に死に遅れたことを歌含んでいます。奥さんへの愛を詠っています。なんだか悲しくもありますが、ロマンチックですね。

関白陣って?!

2018/03/01

歴史

関白陣は、伊佐市の曾木というところにある山にあります。島津征討の目的を果たした「豊臣秀吉」が天正15年(1587)、最後まで徹底抗戦した当時の大口城主「新納忠元」と会見した陣営跡です。
大口盆地を一望に見渡せる眺めは秀吉の陣営として最適地でした。確かに左の写真のように見晴らしが素晴らしいです。ここで「新納忠元」は、秀吉に向かって「主の命さえあればすぐ敵対する」と答えたほどの勇猛な武将でした。
「細川幽斎」が、酒盃を呑み干した「忠元」の白髭を見て『鼻の下にて鈴虫ぞなく』と詠んだところ、「忠元」は『上髭をちんちろりんとひねりあげ』と上の句をつけて返歌し、居並ぶ諸将を感心させた歌の達人でした。
「新納忠元」は、これ以外にも味のある歌を詠んでいます。そのひとつが「さぞな春」です。ちなみに、今月発売されたフィナンシェも「さぞな春」。これについては、またの機会にご紹介します。