ふるさとの恵みを伊佐から世界へ

 九州・鹿児島の最北県境に位置する伊佐地方は、東に霊峰霧島連山を望み、その山麓に川内川を挟んで広がる高地の盆地です。川が運ぶ豊かな土壌の平野には米が、山間部のシラス台地にはサツマイモ他多くの農産物が育ち、焼酎の一大産地としても有名です。
 また、世界的高品位の金や銀を産する、現在日本で唯一の金鉱山のある町でもあります。
この土地に古くから伝わる、大麦麦芽の酵素の力を用いてサツマイモや米を糖化して作る、水あめがあります。母から娘へとひっそりと受け継がれてきた、今は殆ど作る人のいなくなったそのコクのある素朴な味を、当社は復活させました。
 そしてもうひとつ。この地方の一番の特産物である「米」「米粉」を使った新たな食品開発にも挑戦し、伝統製法に新しい視点を加えて、小麦粉を全く使わない新しい和洋菓子を作り上げました。
 さらに美味しく、新しい商品の開発に日夜いそしんでいます。そしていつか、ふるさとの特産品として、世界に紹介したいと考えています。

代表あいさつ

 私は幼い頃から、祖母の見よう見まねでお菓子を作ってきました。そして大人になって管理栄養士の資格を取り、またバイオ工学の技術者になり、東京大学大学院、神戸大学大学院、京都大学iPS細胞研究所で研究の最前線にいました。
 親の介護で度々伊佐に帰省するようになり、高齢化で故郷の灯りが一つ一つ消えて行く寂しさを感じるようになった時ふと、幼いころ祖母が作ってくれたさつまいも水あめのことを思い出しました。
 大麦の芽の緑。石臼の音と独特の香り、さつまいもの煮える音。それはまさにバイオテクノロジーの原点と言える製法で、その隠れた記憶ゆえに、自分がバイオ技術者を志したことに思い至りました。
 「もう一度食べたい。そして作ってみたい。あんなに美味しく面白い製法を途絶えさせてはいけない。また他にも、故郷鹿児島には、美味しい特産品や面白い素材が沢山ある。それらを栄養・調理と科学の視点で生かして、世界中の皆さんに喜ばれる食品や製品を生み出せないか」と考えるようになり、数年を経て会社を立ち上げました。
日本の地方には、まだ多くの人に知られていない素材や製法が、ひっそりと受け継がれています。そんな素晴らしい素材を掘り起こし、新しい視点を加え、製品として開発して日本へ、世界へ送り出せないかと、当社は日々研究と試行錯誤を繰り返しています。

ものづくりの原点

 薩摩太良院の製品の原点は、鹿児島県の最北端、伊佐市の自然の中にあります。 九州山地の森に囲まれた高地の盆地で、周囲の山々から湧き出る豊富な水と、様々な野生の動物、自生する薬草も含めた植物、農産物、降るように美しい星空。その中で、代表と顧問は育ちました。 溢れる自然の恵みの中から、私達の生活や健康に役立つものを見出し、伊佐に伝わる伝統的な製法に新しい技術と知識を加えて、素晴らしいものを生み出したい。伊佐の自然の恵みを生かすことで、その素晴らしさをお客様にお伝えしたい。その気持ちが、㈱薩摩太良院のものづくりの原点です。

産地・伊佐への想い

 当社の麦芽製法水あめは、大麦(裸大麦)、さつまいも共に伊佐地方の自社の畑で栽培したもの、あるいは伊佐の契約農家さんに作っていただいた、無農薬のものを使っています。そして製菓用のもち米粉は、伊佐の契約農家さんにお願いして低農薬栽培してもらったものを、北薩摩伝統の(寒さらし製法)で自家製粉しています。
 また、その他の食材も厳選された良質のもの。例えばチョコレートはマレーシアベリーズ社の高級クーベルチュールを使用。味に手は抜きません。

名前の由来・太良院の歴史

菱刈重妙(藤原氏の末裔)は保元元年(1156年)後白河天皇の勅命により菱刈両院(太良院と牛屎院)七百余町歩を賜りました。建久4年(1193年)源頼朝の命により、菱刈重妙は下向し建久5年(1194年)菱刈重妙によって築かれた居城として築いたのが太良城(本城小学校南西)といわれています。