伊佐の魅力
日本一の金山、伊佐にあり!
2017/02/26
2017年のかごしま逸品商談会に出品した「銀河坑道プリン」のコンセプトの一部にもなっている「菱刈鉱山」。伊佐には、日本一の金山があるというのをご存知だろうか。現在は国内で稼働している金山は鹿児島県だけで串木野と菱刈2ヶ所だけ。江戸時代にその存在はわかっていたが、当時の技術では採掘できなかった。もう40年以上も前になるが、顧問が中学生の頃、カナダから探査機をもってきてヘリコプターで金脈を探していたらしい。採掘は住友金属鉱山(株)で菱刈鉱山は、1985年から216.7トン(2015年3月末現在)の金を産出。鉱山の入口を「坑口」、鉱山のなかの道を「坑道」というらしいニャ。菱刈鉱山の坑道は、標高265メートルの坑口から、海抜マイナス50メートルまで、全部あわせて100キロメートル以上ある。大型の鉱山用重機が自由に動ける大きさの坑道が網の目のように張り巡らされてる。伊佐のあちこちの地下に金脈があり、時々ド~ンという発破の音がすることも。菱刈鉱山は金鉱石1トン中に含まれる平均金量が約30~40グラムという高品位(世界の主要金鉱山の平均品位は約3〜5グラム)。現在も1年間に約7トンの金を産出している。現在、商業規模で操業が行われている国内の金属鉱山は、菱刈が唯一の存在だ。約65℃の温泉水も湧いていて、6kmのパイプラインを通って、地元の湯之尾温泉へ供給されている。その量は1分当り9千リットルにもなる。
明治の面影を強く残す産業遺産
2016/12/26
鹿児島県伊佐市南部の川内川上流に位置する「曽木の滝」。その1.5キロメートル下流に今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。曽木発電所は明治42年に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のもので、水俣のチッソなどにも送電を行っていました。昭和40年に鶴田ダムの完成とともに水没してしまいましたが、水量が少ないときは中世のヨーロッパの居城跡を思わせるレンガ造りの建物が見られます。
作ったのは野口遵(のぐち したがう)という近代化学工業の父とも言われている人です。野口 遵は、金沢の貧しい士族の家に生まれましたが、勉強して成功を納め、人生の最後には私財全財産(昭和16年当時3000万円といいますから、米価比較から推計すると今の価値で810億円程度)を投げ打って、財団法人野口研究所と朝鮮奨学金を作った人です。
400年も前の大工の落書き?
2017/01/26
伊佐には、大泉(だいせん)、伊佐美、伊佐錦という美味しい焼酎があります。伊佐にある郡山八幡神社で日本における『焼酎』という文字が初めて見られた証拠が見つかりました。今から四百数十年前の室町時代に、すでにこの地に焼酎が普及し、庶民に飲まれていたことがわかります。室町時代の永禄2年(1559年)、織田信長が桶狭間(おけはざま)の合戦で今川義元を破った前年であり、この年に社殿を修補した大工が書きしるしたと考えられます。
「座主(ざす)」とは、大寺の寺務を統括する主席の僧職のこと。「社殿修補のとき、座主がたいそうけちで、一度も焼酎を飲ませてくれない。えらい迷惑なことだ!」と訴えています。400年以上たっても、ケチだと言われるとは座主も思ってもいなかっただろう。